駒場ドイツ文学・ドイツ思想研究会

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第三回読書会の報告

 第三回読書会では、パウル・ツェラン「子午線」(邦訳:飯吉2012、原文:歴史批判版2014)とビューヒナー『レンツ』(フランツォース版)を題材とした。

 はじめに、議論の前提としてパウル・ツェランの詩文を解釈するにあたって前提となる態度を検討するために、デリダガーダマー論争についての概略とツェラン詩篇を題材にした実践についての報告が言語態・テクスト文化論コースの四年生によって行われた。

 次いで、「子午線」の検討が行われ、「子午線」を読むにあたって注意すべき具体的なモティーフ(芸術・人形・怪物・ビューヒナー等)や疑問点(そもそも同講演はその難解さで知られる)を共有すると同時に、詩を読むこと(対話か解釈か)や読み・書く行為とテクストの人称性・他者性についての解釈学からのアプローチと脱構築主義による批判、論じること、何のために詩を読むのか、ツェランの詩の場合、ツェランの詩との対話は可能か、或いはツェランの詩を読むことによる共同性の獲得が可能か(より直接的には、読書会で詩篇を扱う事がどのような意味を持つのか)といった根本的な問題まで幅広い観点から議論が行われた。

 総じて有意義な会であったが、以下のような反省点が挙げられる。第一に、時間の不足。予定した報告者を二名から一名に減らしてもなお議論が尽きず、さらにビューヒナーについての検討に十分な時間を充てることができたとは言いがたい。第二に、読書量の不足。最低限、ドイツ語原文を参照することは必須である(文学において、凡そ詩人の言葉を、剰えツェランの言葉を翻訳で「読んだ」という事ほどナンセンスな発言はそうあるまい)し、二次文献についても参加者の積極的な準備が求められる。第三に、具体的な詩篇についての検討を十分に行えなかったことが挙げられるが、これについては詩を扱う回全般に当てはまる注意事項として改善したい。

 しかしながら、研究会の趣旨としては非常に有意義な会であったことについては断言ができよう。ツェランについては、時間をおいてもう一度このテクストへと回帰し、同じであると同時に異なったアプローチの読書会を行う予定である。

 

(T.Y.)